神の選びの結果、義と認め
られることによって、神は私たちの罪の刑罰をすべて取り去られた。子とされることによって、神は私たちを子として扱って下さる。聖くされることによって、
神は私たちがますます神に似るものとなるように、私たちの罪深い性質を変えて下さる。義と認められることと、神の子とされることは、私たちの立場が変えら
れることである。しかし、聖くされる事は、私たちの状態までが変えられることである。この聖くされる恵みを「聖化」という。
私たちは自分の力で罪から離れることが出来ない。神が私たちを内側から変えることによって、私たちを作り変える。アダムの堕落の時に失った「神のかた
ち」を、私たちの内に再び回復してくださる。聖霊が私たちの心に働きかけて、私たちの罪深さは少しずつ消えてゆき、少しずつ聖くなってゆく。この聖霊なる
神様の聖くする働きは、私たちの一生の間続く。聖霊なる神様が私たちの内側に働かれる時、私たちの心も少しずつ聖くされて、私たちの罪の思いや習慣が少し
ずつ弱くなってゆく。そして、少しずつキリストに似た心に変えられてゆく。御霊の実こそ、具体的なキリストの似姿である。
しかし、私たちは聖霊に委ねれば何もしなくていいのではない。私たちがすべきことは、聖書を読むこと、祈ること、神のことばの説教を聴くこと、そして神に礼拝をささげること、これらすべてが私たちの霊的成長に必要不可欠である。
救いとは、罪赦されるだけではなく、キリストの姿にまで達することが救いの全体像である。神は、私たち人間の側の意志や行為をも用いて、私たちを聖くし
てくださる。そうするなら、私たちの心はみ言葉で満たされ、イエス様のように考えられるようになり、イエス様のように行動することが出来るようになる。聖
くされる恵みの到達目標は、「神のかたち」である。生涯をかけて聖さを追求し、年を重ねるごとにますます聖くされ、イエス様に似たものとなってゆく。
やがて天国で、私たちは神のかたちを完全に回復して、キリストに似るものとされて、もはや罪を犯すことは無くなり、いつも完全に神様に従うことが出来るようになり、永遠に神を喜ぶものとされる。