2021年5月16日
 ルカの福音書 18章9〜14節
題目 「義と認められる恵み」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 義なる神は、律法によって 何が義であるか正しいことか、を私たちに明らかにされた。神は全ての人に、この律法によって生きることを求めておられる。そして、この義に従って不義を裁 かれる。義なる神様が、本当にその義、正しさに従って私たちを裁かれるなら、私たちは神の前に立つことが出来ず、裁かれ滅ぼされるべき存在である。
 しかし、律法を守ることによる義とは別に、しかも律法に矛盾しないで、私たちが罪赦され、義とされる、そのような義が存在する。神様が準備された義、そ れはイエス・キリストを信じる信仰による義である。義なる神様であるので裁かれるのではなく、イエス様を信じて罪を告白する罪人を赦して、不義からきよめ て義とされる義である。
 「福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」ロマ 1:17
 神の義とは、その義で罪人を裁くのではなく、与える義、つまりそれによって信じる者の罪を赦してその罪人に義を宣告される義である。これは人間が良い行 いによって獲得する義ではなく、一方的に神から与えられる義である。私たち人間が道徳的に義に変化するのではなく、信じた人間が一瞬で聖人に変化するので もない。法廷用語で、裁判官が無罪を宣告することを意味する。
 義認とは、まだ罪がある私たちに対して、キリストが完成してくださった義を私たちのものとみなして、無罪宣告、義と認める宣告をして下さることである。あなたがイエス様を信じた時のただ1回限りである。その時イエス様の義があなたに転嫁された。
 「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」第二コリ 5:21
 私たちが犯した罪が無かったかのように扱われるのではない。私たちの罪すべてがイエス様に転嫁され、さらにキリストの義が私たちに転嫁された。罪ある者を罪が無い者とみなして、義と認め下さる。義と宣言してくださる。
 罪人を招く義、罪人を赦す義、これが神の義の姿である。
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