2021年4月18日
 ピリピ人への手紙 2章5〜8節
題目 「イエス様のへりくだり」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 イエス様のへりくだりは、 イエス様が私たちの救いのために耐え忍ばれたすべての困難を含んでいる。イエス様はこの世の創造者、主権者でありながら、人間になられ、私たちのためにし もべとなってくださった。誉れある高い所から、恥ずべき低い所に来られ、聖い天から、罪深いこの地上に来られた。富や権力とは全く関係のない家に生まれ た。イエス様が生まれ育ったマリヤとヨセフの家庭は貧しく低い大工の家庭だった。この世の様々な悲惨さを、私たちと同じように味わわれた。それゆえ私たち の弱さをイエス様は理解してくださる。イエス様は人々から本当に憎まれ、嘲りを受けられた。その屈辱を知っておられた。罪を犯さなかったこと以外、人間の 堕落が招いたこの世のすべての苦しみ悩み悲惨、苦痛を経験してくださった。
 また、イエス様は律法にも服従された。罪を持つ人間が服すべき律法に、罪なきお方が服された。神としてのイエス様は、律法の制定者であり、律法の上に立 たれるお方でありながら、人間になられたので律法の下に服して、神の律法を守らなければならなかった。そしてイエス様は私たちと同じくあらゆる点で試みに さらされた。言い換えれば、律法を破り犯す誘惑、試みにさらされた。この罪の誘惑に満ちあふれた世界に生きてくださった。人となられたイエス様にとって、 神の律法を完全に守り続けることは、私たちと同様、困難極まりないことだった。罪が無く、罪を憎む神の子がこの地上で罪深い人間の間に住むことは、大きな 苦しみであった。サタンはイエス様の使命を台無しにするため、特別な力でイエス様を全力で誘惑した。
 しかしイエス様の苦しみの頂点は、神の怒りをその身に受けることによって、罪の結果をすべて経験されたことである。イエス様のへりくだりの中で最もつら いことは、神の民の罪を背負って神の怒りを引き受けることだった。私たちの罪に対する神の怒りはイエス様に向けられた。十字架で神に呪われた者となった。 罪の怒りと呪いを受けて父なる神様から完全に見捨てられ、背を向けられた。そして、陰府に下られたことは、苦しみの最高潮、イエス様のへりくだりの最も低 い状態であった。神の栄光を捨てられ、十字架の死にまで低くなられた。
 イエス様がここまでへりくだられたなら、イエス様を信じる私たちも、その足跡に倣って、へりくだり、今直面している重荷も耐え忍ぶことが出来る。
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