罪を犯す前の人間は、神の
形に創造されていたので、聖く正しく神との自由な交わりが許されていた。しかし、罪を犯した後は、罪の汚れを持つ者として、自由に神に近づくことが出来な
くなった。人間の罪によって、神と人間の自由な交わりが断絶した。神はそこで祭司を立てて人々に代わって神に近づくことを許された。預言者が神のことばを
人々に伝えるのに対して、祭司は人々を代表して神に近づく働きである。祭司は、民の罪の赦しを願うため、動物を犠牲にして血を流し、祭壇に注いだ。それに
よって、人々は罪を赦された。殺される動物が、人々の罪を代わりに受けて、罪の罰の裁きを受けることを示している。しかし、動物の犠牲は永久的ではなく一
時的、不完全である。
神は聖く正しいお方なので、罪を憎まれるお方である。全ての罪は死によって罰せられなければならないことを、神は人間に警告していた。しかしアダムが罪
を犯した後、憐み深い神様はこの救い主キリストをこの世に送る約束を与えられた。キリストはご自分の体と言う一つの完全ないけにえ、一つの完全なささげも
のによって、永遠の贖いを完成された。それによって、神の正義が満たされ、私たちの罪はすべて永遠に赦される。
イエス様は、私たちの罪の償いをすることによって、私たちを神と和解させ、神との関係を回復してくださった。神との平和を持つ者は幸いである。神との平
和を持っている者には、もう神様は罪を罰する神ではなく、逆に罪を赦す神であり、父よ、と呼んで祈ることが出来る存在である。だから死んでも死後の罪の裁
きをもう恐れない。罪が赦され神との平和を持っているので、神の国、天国に行って永遠に生きることが出来る、永遠の命をすでに持っている。
イエス様は、ご自身を信じる人々すべてのため、今も祭司として天において、神の民のために父の右でとりなしをし、祈っておられる。イエス様は十字架に死
んで、完全な犠牲を払って下さり、死からよみがえり、もはや死ぬことはない。天国で人としての体を持ちながら神として永遠に生きていてくださる。イエス様
はもはや死ぬことなく、永遠に私たちの大祭司。それゆえ、恐れることなく死からよみがえった私たちの大祭司イエス様に寄り縋って、大祭司イエス様と共に歩
もう。