アダムとエバは最初の人
間、私たちは彼らの子孫、彼らは私たちの先祖である。神は人を罪のない者として造られ、人は知識と義と聖さにおいて神のかたちを持っていた。アダムを創ら
れた神は、二つの可能性をアダムに示された。一つは完全な服従の道であり、これは永遠のいのちに至る道。もう一つは不従順の道であり、この道は命を失う死
に至る道。創2:17「その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」アダムはどちらを選ぶこともできた。人間が神の命令に服従して永遠のいのちを獲得する
か、背いて死の刑罰を受けるか、それは彼らの意志の自由に完全に委ねられていた。またアダムには、善も悪もどちらも行うことができる能力があった。人はそ
のような力を持つものとして造られた。堕落によって失われたのは、この能力であり、堕落したアダムの子孫である私たちは、なお自由ではあるが、善を行う能
力はもはや失われた。
サタンがエバを誘惑した時、彼女は神に従わない道を選択した。そしてアダムも神の命令に服従しない道を選び、木の実を食べた。アダムとエバがこの罪を犯
すや否や、彼らはもはや罪なきものではなくなり、罪人となった。彼らと神との交わりは失われてしまった。神はご自分の聖なる御前から、彼らを追放しなくて
はならなくなった。この罪の行いとその結果は、堕落と呼ばれている。アダムとエバが罪を犯した時、彼らは神に対して罪を犯した。罪とは、常に神様に対する
ものである。私たちが罪を犯すとき、ただ自分のしたいことをしただけのように思うかもしれない。しかし、それが神の律法を破っているなら、神様に対して罪
を犯したことになる。
アダムは人類すべての代表として罪を犯した。神様は人間を、神様を愛し、良いものを求めることが出来る、聖い者として創造した。しかし堕落によって、神の敵となってしまった。今や人間は神を愛することを拒み、その代わりのものを拝み、悪を愛するようになった。
ずっと後になって、サタンはイエス様に対して、アダムと全く同じ誘惑をした。しかしイエス様はサタンの誘惑を退け、父なる神に完全に従った生涯を送られ
た。そして、十字架で罪無きご自身の貴い血を流され、完全な罪の代価を支払って下さった。それによって私たちの救いを完成してくださった。