神と共に歩んだ過去は、現
在と未来の困難に打ち勝つ力を与える。詩篇の作者は、これから迎える人生の晩年を思いながら、たとえ自分の力は衰えても、神の力はいよいよ増し加えられる
という信仰に固く立っている。それは人生の主導権が自分にではなく、神にあることを認めているから。勇者で戦士のダビデであっても、もう若いころのように
は戦えない。体力、気力、知力も確実に衰えている。しかし白髪になっても神と共に歩むダビデのその姿には、信仰の力、信仰の美しさがなお燦然と光輝いてい
る。
神に選ばれ祝福されている人は、苦しみに会わない、それはごまかしであり、信じてはいけない。ダビデは確かに神に選ばれ、確かにほかのだれよりも祝福されていた。しかし、確かに私たちよりもはるかに多くの苦難を経験した。
神は、私たちが苦しむときに、私たちを抱き、重荷を共に負ってくださるお方であり、神の愛は、私たちが苦しみに会うときほど強くなる。神が生きておられ
るなら、地の深みのような、孤独な苦難の地でも、神が私たちを立ち上がらせてくださる。それゆえ、いよいよ神に信頼しよう。神は私たちが深みに下れば下る
ほど、さらにさらに高く引き上げてくださる。
目の前の現実はたとえ困難があっても、信仰の目を上げて、主の導きに従う時、必ず主は祝福を与えて下さる。私たちも信仰の目を上げて、主の導かれるまま
に歩もう。義なる神は、私たち罪人とは違って真実なお方。一度私たちを選び、神の子とされたら、決して見放さず、見捨てずに最後まで守り抜いてくださる。
白髪になって地の底に下るような苦しみに会っても決して見捨てずに、憐れみ、力強いその御手でつかんで助け出される。老いて、弱くなったら、ますます神に
信頼しよう。肉体は衰えても、神への信仰においては若いころに勝って、いよいよ強くなろう。
コロナも、病も、死も、私たちをキリストの愛から引き離すものはない。キリストにあって、私たちは圧倒的な勝利者となる。ギリギリの勝利ではなく、圧
勝。圧倒的な勝ちが約束されている。この1年も、主と共に歩むことができたことを、主が私たちと共に泉教会と共に歩まれたことを、共に主に感謝し賛美しよ
う。