2020年12月20日
 ヨハネの福音書 1章1〜18節
題目 「クリスマスの恵み」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 私の長女に来月子供が生ま れる予定だが、イエス様も、マリヤのお腹に宿ってこのようにして生まれてこられた。生まれた赤ちゃんが母親に殺されたり、父親に殺されたり、悲しい出来事 がある。赤ちゃんは、生かすも殺すもただ周りに頼るしかない一番弱い存在である。神が人となって、赤ちゃんとして誕生してくださった。神であるのに、何も できず、全てをお世話してもらわなければならない赤ちゃんとして生まれ、私たち人間のところに来てくださった。その時、イエス様は大歓迎されただろうか? この民の権威者たちは神のことばであるキリストを受け入れず、殺そうとした。その後も、故郷ナザレでさえ受け入れられなかった。それから33年後、民の権 威者たちはついにイエス様を殺した。生まれてから死ぬまでイエス様はずっと受け入れられなかった。
 しかし、全ての人が受け入れなかったわけではない。キリストを信じた人々がいた。その人は神の子の資格、権威、特権を得た。そのようなこの世の暗闇の中に、まさに光が照った。その光のなかで、光の子になった人々がいる。高らかな勝利の賛美をヨハネは歌っている。
 この世界と人間は、御子キリストによって造られた。その時、人間は神を愛することも憎むこともできるように、完全に自由な人格を持った者として造られ た。アダムは、悪魔の声に耳を傾け、神を完全に愛することに失敗した。それ故に、アダムの子孫である人間もこの方を受け入れなかった。しかし、この方が来 られた目的は、人々を神の子として回復するため、言い換えれば新しい創造を行うためである。それゆえに、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた 人々が生まれた。人によらず、ただ神によって生まれた。これこそ新しい創造である。
 「恵みの上にさらに恵みを受けた。」これは「恵み対恵み」と訳せることばで、ギリシャ語で「アンチ」という言葉が使われ、代償、対価の意味がある。神の 限りない恵みに対する対価は何か?良い行い、善行、神の戒め、律法を完成することは私たちにそれはできない。神の恵みを頂く対価、それはただ恵み以外に無 い。神の子イエス様が来てくださり、世の罪を取り除く、神の子羊になってくださった。十字架に死なれて、私たちのために恵みの対価をすべて支払って下さっ た。だから、私たちにとって恵みを頂く対価はただ十字架の恵み以外無い。ただ恵みによって、神の恵みを頂ける道が開かれた。資格のない者に、神はただ恵み によって無条件で恵みを与えて下さる。これがクリスマスである。
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