創造の御業とは、神がすべてのものを無から、力あるみことばにより、6日間で、全て非常に良く造られたことである。
神は全能の力を持って、無から世界を創造された。私たちが何かを作る時、必ず見えるものから作る。すでに有るものから作るが、神の創造は無からすべてを創
られた。無からという時、時間や空間も無かった。創造とは、時間や空間も創造したことを意味する。時間も空間も無い、全く無の状態で、この宇宙空間も、こ
の時間も創造された。
今日、神の存在を認めない不信仰な科学の主張は「すべてが創造のはじめからのままではないか」と、現在の世界を観察して、昔からずっとその通りにすべて
が起こって来たと考える。しかし空間と共に、時間も神の創造の業なら、ご自分が造られ定められた時空に神は当然介入できる。カナの婚礼にイエス様が招かれ
た時、瞬時にイエス様は神の力を働かせて、本来、何十年もかかるワインを瞬時に造られた。自然法則を定めたお方がその法則を超越することは、何ら不思議で
はない。
神はご自分が造られたものを見て、それが非常に良かったことが記されている。つまり、全てのものは聖く、正しく、完全だったことがわかる。創造の初め
に、悪はなく、完全な調和を保っていた。言い換えればそれは、世界の不調和、歪み、腐敗といった、人間の罪がもたらした恐るべき結果を示している。悪は、
最初の人間が罪を犯すことを選んだ結果、この世界に入り込んだ。
神はいつか、悪を滅ぼして、罪がもたらした全ての醜いものを元に戻すことを決心し、約束しておられる。それは、イエス様がご自分の民のために最初に来て
くださっただけでなく、再び来られるその時にすべては完全に良いものとなり、悲しみも罪も無くなる。罪をあがない、罪の縄目から私たちを解放するために、
神の子はこの世に来られた。ただイエス様によってのみ、かつてのような調和した聖い状態に回復される希望がある。
神はこの世界を創造しなくても何ら困らないお方として、創造以前においても、全く充足されていた。父と子と聖霊の完全な交わりを持たれていた。ただご自
身の自由な決定に基づいて、ご自身の栄光のために世界を創られた。私たち人間への無条件の愛を示すため、私たち人間と愛に基づく交わりを持つため、この世
界を創造された。再びイエス様が来られるその時、私たちも完全に罪の縄目から解放され、この世界も完全に贖われる。その時、創造の初めのように、全てが非
常に良いものに再び回復され、究極的な神の国の到来へと導かれる。