2020年11月15日
 ヨハネの福音書 4章4〜14節
題目 「まことの礼拝者」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 夫を5人も変えた女性とイ エス様の対話である。イエス様は「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と彼女に言われた。「私には夫がいません」との答えは彼女の孤独、惨めさ を言い表している。5人も夫を替え、結婚に望みを託してきたが、皆失望に終わってきた。満たされなかった。真に私たちの心を満たすのは、キリストのみであ る。
 イスラエル人から馬鹿にされていたサマリヤ人は、エルサレムではなくゲリジム山という山で礼拝していた。しかし、真の礼拝はゲリジム山でもなく、エルサ レムでもないところでなされるよ。そう言われた。これは礼拝の奥義である。聖書は、礼拝とは、どこででも出来る。どこでも主を礼拝する、そのような時が来 ている。今、泉教会は会堂でともに集って礼拝することが出来ない状況にある。しかし、礼拝はどこででも主にささげることが出来る。霊とまことの礼拝を主に ささげることが出来る。
 イエス様は、この女性に、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言った。あなたの過去の恥ずかしい部分を私の前に持って来なさい。主の前に はすべて顕わなのだから、飾らず隠さず、そのままありのままで来て、そのままの姿で礼拝しなさい。それが真の礼拝、霊とまことの礼拝、御霊と真理による礼 拝。偽りの、お飾りの、偽善の礼拝ではない。私たちの人生には、人に見せたくないものがたくさんある。隠しておきたいものがある。
 しかし、神様の前には、ごまかしたってだめ。恥ずかしい部分もそのまま持って礼拝する。神様は砕かれ破れた心をそのまま愛してくださる。それこそが御霊と真理による礼拝だと言って下さる。罪も恥も、悲しみも苦しみも、悩みもむなしさも。
 この女性はイエス様との対話の中で導かれ、本当に変えられた。水瓶をその場に残してイエス様を伝える者になった。水瓶は女性の仕事道具。無くてはならな い必需品、それを残してでも、大切なことを人々に伝えた。キリスト信じるなら、聖霊が内側から働いてその人を変える。それは周りの人も気づく。御霊と真理 による礼拝、それは周りの人にも影響を及ぼす。礼拝を神様はどこででも受け入れてくださる。皆さんがそれぞれ自宅でささげる礼拝を祝福してくださる。神は すべてを益と変え、祝福へと必ず変えてくださる、良いお方である。そのことに信頼したい。
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