2020年9月27日
 マタイ福音書 11章25〜30節
題目 「疲れた人、重荷を負っている人」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 聖書には365回「恐れる な」という言葉が出てくる。1年365日恐れを持って生きているような私たちの現実がある。イエス様は、神を信じる者は「恐れるな」と命じている。今の時 代、どこに行ったら「恐れ」の問題が解決するのか?イエス様は「わたしのもとに来なさい。」これがイエス様のメッセージで、命令である!どこに行こうとす るのか、どうしておろおろするのか、あなたは私のもとに来なさい。「わたしがあなたがたを休ませてあげます。」イエス様は、心配に支配されてしまう私たち に対して、このように励ましてくださった。苦労して、苦労して、本当に疲れ果てて、なおその上に追い打ちをかけるように重荷を負わせられている者、その者 は迷わず今、私のところに来て休みなさい。私たちには、本当に大丈夫だよ、と言って微笑んで下さるイエス様が、いつも変わらずそばにいてくださる。

 またイエス様は、私のもとに来て、学びなさい、と言われた。それは柔和とへりくだりである。柔和とは、ただニコニコしている意味ではなく、重荷を背負い つつも、それに打ちのめされない柔軟さである。柔和でへりくだってその与えられた重荷をイエス様と主に負う。そこに、ぽきっと折れてしまわない柔軟さ、し なやかさ、強靭さがある。柔和でへりくだる者にこそ、主の恵みが豊かに流れ出る。なぜなら、イエス様がそのようなお方だから。

 イエス様のように心を柔和にし、へりくだることを学ぶなら、魂に平安が与えられる(11:29)。それ故イエス様と共にあなたに与えられたその荷物を再 び担おう。それはなくなるわけではない。しかしイエス様と共に担うその時、重荷は負いやすくなり、その荷はふっと軽くなる(11:30)。何よりも、イエ ス様が共にくびきを担って下さること自体が、素晴らしいめぐみそのものであることに、私たちの霊の目が開かれますように。
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