2020年8月30日
 マタイの福音書 6章11節
題目 「日ごとの糧」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 イエスは答えられた。 「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(マタ4:4)私たち人間は、神のことばによって生きる が、パンのために働くことも重要である。イエス様は、「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」(マタ6:11)と、日ごとの糧、食っていけるよ うに祈れ、そう教えられた。イエス様は、私たちの現実をとてもよく知っておられるお方で、私たちも、食っていくためには働かなくてはならない。コロナ感染 を心配しながらも、猛暑の中でも、北風吹きすさぶ中でも、いやな上司や同僚がいても、持病を抱えていても、私たちは働かなくてはならない。日ごとの糧をお 与えくださいと祈る者は、その祈った祈りのように働く。「働きたくない者は食べるな、仕事をして自分で得たパンを食べなさい」(第二テサ3:10〜13) と聖書は命じている。 働き盛りの人は、祈る時間がなかなか取れない。しかし、その人は毎日食うため、家族を養うため働いている。身を粉にして働いているなら、それ自体が祈りを 実践していることになる。日ごとの糧をお与えください、と一生懸命その体で、その労働で祈っている。

 私たちは、日ごとの3回の食事がすべて神様から与えられ、神様にすべて依存していることを忘れてはならない。私たちのすべてを、私たちのいのちを神が支 えてきて下さった。私たちは、この世に生きている限り、食べ続けなくてはならない。私たちは、食べることができなくなった時、この地上の人生が終わる。し かし、その死を迎える瞬間も、神は次のいのちを私たちに備えていてくださる。イエス様が、私たちに命を与えるために十字架でご自分の命を投げ出して、自ら 命のパンになってくださった。この命のパンを食べるとはイエス様を信じることであり、それによって、次のいのち、永遠のいのち、天国の神の国のいのちを頂 くことが出来る。イエス様は十字架においてご自分の肉と血によって、私たちに次のいのちを与えて下さった。

 聖餐式はこの意味を追体験するめぐみの時。イエス様からのパンと杯を頂くことによって、イエス様から永遠のいのちを頂いているめぐみを覚えたい。
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