2020年8月23日
 詩篇 130篇1〜8節
題目 「神を待ち望む」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 「私の魂は主を待ち望む。」これは聖書全体を通してのテーマ。待ち望むとは?

1.神の約束を意識しつつ待つこと(ルカ1:13、1:30、31、2:25、26)
 神を待ち望んだ人は、神からの約束を信仰によって受け止めた。彼らはたとえ目に見えなくても、神の約束に生きることが出来た人々である。

2.待ち望むとは、積極的なこと。
 積極的に待つとは、今ここに何か大切なことが起こっていることを確信する。それゆえ今ここに留まることを大切にして、自分をこの時に期待を持って置く。

3.また待ち望む人は忍耐の人
 彼らは、たとえ自分の思い通りにならなくても、神はもっと素晴らしいことをして下さるお方だとの希望を抱いていた(ルカ1:38)。待ち望むとは、自分 の将来を操作することを手放し、自分の人生を神に導いていただくため積極的に今ここにとどまり、神にとどまり、自分の思いをはるかに超えた大切なことが私 たちの上に起こることをひたすら耐え忍んで期待すること。

4.共に待つ
 マリヤはエリサベツのところに行って二人はそこで互いに神の約束の実現を共に待ち望んだ(1:39-40)。ここに、クリスチャンの家族と教会の交わりの模範がある。

5.待っておられる神
 私たちが神を待ち望むと考えるが、実は神こそが待っておられるお方。放蕩息子の父は、ひたすら息子の帰りを待つ姿。これは私たちを待ち続ける神そのもの の姿。何よりも変わらない愛を持ち続けて待ち続けてくださる神の姿。私たちがどれほど、神のみ心を損なっても、神はなおも期待し待ち続けてくださる。神こ そが私たちを待ち望んでいて下さるお方。

 それゆえに、神への応答として、私たちも神をいかなる時でも待ち望む。
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