ヨシュアの生涯は戦いの連
続で、モーセの後継者として、全軍を率いてイスラエルを約束の地に導きいれた。アマレクとの戦いを通して、戦いの勝敗は、神のみ手の中にあり、祈りによる
ことを学んだ。また彼は、指導者としてのモーセの広く寛容な心から学んだ。約束の地に近づいた時、12人の斥候の一人として、ヨシュアも偵察隊に加わっ
た。10人は否定的な報告をして民の心をくじいたが、ヨシュアとカレブだけが「神がともにおられるなら占領出来る。」と叫んだ。イエス様は「あなたがたの
信仰のとおりになれ」(マタ
9:29)と言われた。民は、その不信仰通りになった。しかし、ヨシュアとカレブだけは、その信仰の通りに生きて約束の地を占領するに至った。イスラエル
の20歳以上の民は、その不信仰のゆえに、40年の間にすべて死に絶え、ヨシュアとカレブだけが残った。
ヨシュアも、神に聞かず人間的判断を下して、何度か失敗した。しかし、ヨシュアは主の戦い、信仰の戦いを最後まで戦い抜いた。
ヘブル書では、究極的な約束の地とは神の国、天国を指している。そこに入ることは神の約束でありまた命令である。そこに勝利と安息が備えられている。泉
教会の一人一人が、この地上での信仰の戦いを立派に戦い抜き、勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通し、永遠のいのちを獲得しなくては
ならない。私たちはこのために召されている。
臨終が近づいたヨシュアは、民を集めて告別説教を行った。これまでの神の恵みの歴史を振り返り、神に聞き従うこと、神を愛すること、神を恐れ、神に仕え、偶像を除き去ることを諭した。
「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は【主】に仕える。」(ヨシュア24:15)
私たちも、この今を信仰の戦いに勝利することと、これからの全生涯を信仰によって主と共に歩む、約束の地を勝ち取るまで。神の国に入るその時まで。