2020年5月17日
 ヨブ記 1章13〜22節
題目 「砕かれたヨブ」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 ヨブは、ノアやダニエルと共に完全な人物だった(エゼ 14:14)。このような義人でさえも、さらにきよめられ、より完全にされるため、神が取り扱われることがある。

1.取り去られる
 その方法の第一は、取り去られることだった。私たちも、神の前に丸裸にならなければ、神の恵みが徹底しない。神はヨブから大切なものを次々とはぎとられ た。それは財産、子供、健康、妻の愛、友の同情、すべての人から捨てられ、神からの愛の感覚も失った。ヨブはすべてを徹底して取り去られ、裸にされた。真 の信仰はこのような中で生まれる。

2.心が暴かれる
 神の取り扱いの第二は、ヨブの心が暴かれることだった。苦しみ、試みの時にこそ私たちの心の内にあるものが出てくる(申8:2)。それはまず自己の義、 自分の正しさを主張するヨブの強烈な自我だった。ヨブは神よりも自分を正しいとした(32:2)。私たちの自我は十字架に付けられているはずである。それ はまた彼の不信仰だった。神が最善をなしてくださることを信じることが出来ない時につぶやきが出る。

3.神に出会う
 神は試みを通して、ヨブの自我と不信仰の問題を暴き出された。彼への最後の取り扱いは、神ご自身をヨブに示すこと、神がヨブに出会って下さることだっ た。ヨブは神と出会い、全く砕かれた。人は本当に神と出会う時にのみ、砕かれる。私たちにとって、それはイエス様の十字架であり、十字架にこそ神の愛と義 がすべてあらわされている。十字架のもとに来る時に、自我も不信仰も砕かれ、溶かされる。十字架のもとで塵や灰のように全く砕かれる時、神は私たちを恵み で満たし、信仰と希望と愛で全うしてくださる。
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