2020年4月26日
 詩篇 46篇
題目 「神はわれらの避け所」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 神の教会やクリスチャン は、この世にあって様々な戦いを免れているわけではない。その理由の一つは神に避け所を見つける機会、チャンスを与えるためでもある。神の守りとは、私た ちがこの世に天国を持つことを意味しない。しかし、神はそのみ声だけによってその騒ぎを鎮められる。教会とクリスチャンは、いつでもこの世の戦いのうちに 置かれている。私たちが神の子なら、それを耐え忍ばなくてはならない。神の民は信仰の戦いを戦わなくてはならない。その時、神は私たちの信仰と従順を確か められる。神のみことばに信頼し、神に従おう。神は、ご自身を信じて呼び求める者には、神はその主権を持って彼がよろめくようにされない。神に選ばれ、神 への信仰に導かれ、神の子とされたものは、キリストによって守られ、決して滅びることはない、この約束を疑ってはならない。全能の神、義の神、愛の神が私 たちの味方となられるなら何を恐れるのか。この神の御業を見よ、この神を見よ。そう詩編の作者は招く。神の摂理は、神に逆らい騒ぐ者すべてをもご支配して おられる。神は、この地上で起こるすべてを導く手綱を持っておられる。それゆえ、上から支配できない混乱、神に制御不能の混乱は存在しない。

 一度その守りのうちに私たちを引き取ってくださった神は、決して私たちを捨てることはない。いつも私たちとともにおられる。イエス様は、「明日のことま で心配しなくてよいのです。」(マタイ6:34)と言われた。なぜなら、明日もまた神様は私と共にいてくださるから。だから明日も共におられる神に信頼 し、明日を思い煩わなくてよい。

 私たちにとっての最大の恐怖、それは死である。しかしそこにもその時にも神は近き助けとして共にいてくださる。そのことを信じる時、死の恐れさえ乗り越 えられる。私たちは、たとえこの地上で試みを受け、病気や死に打ち負かされても、必ずこの神の都に入る。「神はそのただ中におられその都は揺るがない。」 (5) 何が天国か。それは神が私たちと共におられる、この神の臨在こそ天国である。私たちの神はインマヌエルの神、私たちと共におられる神、臨在は救い である。
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