2020年4月5日
 マルコの福音書 15章33〜39節
題目 「十字架の上の神の子」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 神の呪いを象徴する暗闇が 全地を覆った。父なる神が子なる神に背を向け、神の怒りが御子イエス様に注がれたことを象徴している。永遠の初めから存在していた父と子の決して曇ること のない交わりが、その時には完全に断たれた。地獄とは、神から完全に引き離されることであるならば、その時確かにイエス様はその苦しみを味わわれた。父な る神との交わりを隔てるものとは、ただ罪のみである。しかし、御子はいかなる罪もなかったので、御子にこのような苦しみを味わわせたものは、ただ私たちの 罪のみであった。ここに十字架の核心がある。

 その光景を間近で見ていたローマの百人隊長は、イエス様のお姿を見て「この方は、本当に神の子であった」と言った。これは、マルコの福音書で最も重要な 言葉の一つ。この信仰のことばを呼び起こしたのが、イエス様の死であり、イエス様の十字架の上での叫びだった。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨 てになったのですか」この言葉を聞きながら、隊長に信仰の告白のことばが生まれた。この主イエスの言葉は、詩編22編の最初のことばである。それは主イエ スが十字架の上でもなお礼拝をささげておられたことを意味する。父は全力でご自身の子を突き放し、子は全力で父の拒絶を受け止めている。主イエスは、父な る神に見捨てられ、確かにここで地獄を経験された。そこでなお礼拝をし続ける。そこに主イエスが神の子であることが鮮やかにあふれ出る。百人隊長が見たの はそれであろう。「この方の父なる神は、確かに生きておられる」、この隊長はそう認めざるを得なかった。
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