1.人が神について何を信じなければならないか
聖書は、あらゆることを教えるための百科事典ではない。神について何を信じなければならないかが記されている。人は、何をどう信じても良いのではない。
それぞれの宗教にはそれぞれの救いがある、神も仏も同じ実在者がそれぞれの姿で現れたにすぎない、といった「宗教多元主義」の主張は、真の神への信仰を妨
げる考えであり、偽りである(第二ヨハ1:9)。それゆえ聖書は人が神について何を信じなければならないか、が書かれている。
2.神は人にどんな義務を求めておられるか
人が神に対して真の信仰を持つなら、その人は、神が命じておられることを行う義務がある(ヤコブ2:14、17、24、第一ヨハ5:3)。正しい信仰を
持っているといっても、その行いや生活が悪く罪深いのはおかしい。良い木はみな良い実を結ぶはずである(マタ7:16〜27)。正しい信仰は、正しい実
践、正しい行いを通して証明できる。
律法は養育係であり、罪を自覚させて、キリストに導く役割を持つ(ガラテヤ3:24)。律法(義務)が後に扱われる理由は、最初に律法を置くならキリス
トへの信仰より律法のほうが重要という印象を与え、救いは律法を行うことによるという誤解を招く。また律法を最初に、次にキリストへの信仰の順にすると、
キリストを信じた後には律法は必要がないとの印象を与える可能性がある。律法は、救われた者がキリストのためにどのように生きたらよいかを知らせるための
ものでもある(第一ヨハ5:3)。