2020年3月1日
 マルコの福音書 12章18〜27節
題目 「生きている者の神」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 サドカイ派は復活を信じて いませんでした。イエス様は、出エジプト3章を引用されて、それに反論されました。「わたしはある」という方がご自分を「アブラハムの神、イサクの神、ヤ コブの神、主」と自己紹介されました。これは現在形の意味を持っています。「私は昔、アブラハムの神だったよ」などと過去のことを言っているのではなく 「今でも私は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神だ。昔も今も後も永遠に私は存在する。」そう言っておられます。ですからもしアブラハムがもう存在 していなければ、この神の名は矛盾します。神はアブラハムに「空の星のように、海辺の砂のように子孫を与える。またこの地をあなたとあなたの子孫に与え る。」そう約束されました。しかし彼はその約束を見ることなく死にました。もし死んでアブラハムの存在が無くなれば、その約束は果たせませんでした。しか し天国でアブラハムは存在しています。生きているのです。神は約束通りにアブラハムの子孫を増やし、土地を与えられました。

 この三位一体の永遠の交わりに、私たちも加えられています。この主との交わりは、死で終わるものではありません。「私たちが見たこと、聞いたことを、あ なたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」第一 ヨハ1:3

 これから先、何年、どのように、どこまで生きられるのか、人さまざまです。しかし、キリストを信じ頼る者すべてにとって、アブラハムの神は「私はあなたの神」と言って下さり、どこでも、いつでも、いつまでも共にいてくださるのです。
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