パリサイ人達はイエス様を
殺すために罠を仕掛ける。「ローマ帝国に税金を払うことは是か非か?」こう問われると、イエス様は、デナリ銀貨を持ってこさせた。「皇帝のかたち」が刻ま
れている貨幣を見せながら、これは誰のものかと問われ、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と言われた。「皇帝のかたち」が刻まれ
ているもの、つまり政治権力の支配が許されているものには、その支配に従順に従うべきである。
しかし「神のものは神に」がより強調されている。私たちには皆「神のかたち」が刻まれている(創世記1:27)。神がご自分に似せて造られた私たちは皆「神のかたち」を宿している。その私たちを神に返すことが「神のものは神に」である。
それゆえにクリスチャンは、「カエサルのものはカエサルに」返すべく、国家の忠実な市民の一人として、納税をはじめその義務を果たす。それは、国家の主権者を神が立てておられるからである。
しかし、国家の要求と神の要求が相反した場合どうするのか?「人に従うより、神に従うべき」(使5:29)である。国家権力に対して、ペテロは究極的忠
誠を神に対してささげるべきことを明言している。これが「神のものは神に」ということである。言い換えれば「神のみこころに従う」という単純なことであ
る。主イエスはその道を歩まれ、私たちに模範を示された。