1.祭司長たちの質問
祭司長たちは、イエス様をどのように殺そうかと相談をしていた。「何の権威によるのか?」「いったいだれにことわって、こんなことをするのか?」宮の本
当の主であり、神であるイエス様に、「勝手なことをしては困る」というのが彼らの本音だった。この質問にも、自分たちの権威と立場を守り、イエス様を、わ
なにかけようとする思いが表れている。
2.イエス様の質問
「それなら聞くが、ヨハネが行っていた洗礼は神からのものなのか?それともヨハネが勝手にやっていることなのか?」
3.聖霊にさからう祭司長たち
祭司長たちには、神のみこころを真剣に求めようとする思いは無かった。ヨハネの行っていた悔い改めのバプテスマが神からのものなら、神に仕える立場の彼
らは真っ先に悔い改めて洗礼を受けるべきだった。しかし、彼らの質問はイエス様をわなにかけようとするものだった。問題は、彼らの「がんこさ」だった。そ
れは、神と御子イエス様に意図的に反抗するものであり、聖霊に逆らう罪である(マルコ3:29)。それは赦されない罪である。私たちは、イエス様を本当に
主としているだろうか?それとも、イエス様に「勝手なことをされたら困る」と思うのだろうか?私たちのすべての領域で、イエス様を主としよう。