1.疑いを捨てよう(23)
サタンは、心の隙に「もしかしたら、神はおられないのかも知れない」という疑いを生じさせる。「心の中で疑わず」(23) 主イエスは、そのような疑いを捨てる信仰に生きるよう、私たちを励ましておられる。
2.真実な信仰を求められる主(22−24)
イチジクの木が枯れたくらいで驚く弟子たちに、本当に信じるなら山でも動いてしまう力が信仰にはあることを主は教えた。エルサレムの宮は、葉の茂ったイ
チジクのようににぎやかだったが「祈りの家」ではなく「強盗の巣」になっていた。イエス様の厳しい態度は、あのイチジクのように神の民イスラエルが枯れて
しまうとの危機感からであった。民は深いところでは神の存在を認めておらず、自らの罪深さを見つめようとしなかった。
3.悔い改めと信仰に生きよう(25)
「祈りの家」とは、まず自分自身の罪の悔い改めを祈ることである。主が25節のように祈ることを求められているのは、私たちの罪がどれほどしぶとく居座
り続ける山であるのか、私たちを根本から枯らしてしまう呪いの元凶であるのかを教えておられる。そしてまさにこの私たちの罪のために、主イエスは呪われた
者となって十字架にかけられた。
少しも疑わず神を信じ、神の赦しの恵みを信じよう。主は赦しの祈りに答えて下さり、信じて求める祈りに必ず答えて下さる。