2020年1月5日
 ローマ人への手紙 12章1〜2節
題目 「礼拝の民」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

 礼拝は、救われた神の民、天国の先に召された兄弟姉妹や世界中のクリスチャン、迫害に耐え忍ぶ教会とも連帯しながら、主に礼拝を捧げる。

1.礼拝―神のあわれみが前提
 私たちには、「礼拝」することが許されている。私たちが救われ、神を知り、「礼拝の民」とされたことは大変な恵みであり、主のあわれみである。

2.礼拝―自らをささげる。
 礼拝とは、究極的には私たち自身を主にささげることである。パウロは、「あなたがたのからだを、・・・献げなさい。」と命じている。体を「罪と欲」にささげるのではなく、聖い、生きた供え物として「神」にささげる。

3.礼拝―みこころに従って生きる
 この世と調子を合わせることは、神にささげるものを神から取り返して、この世にささげることであり、神でなくこの世に献身すること。むしろ「神のみここ ろ」に自分を合わせ、「神のみこころは何か」を知りみこころに従って生きる。私たちを本当に変えてくださる「聖霊の働き」に意識的に自らを委ね続け、明け 渡し続け、変えられ続けてゆくこと。

4.礼拝―ひとつの礼拝
 礼拝は単数で、群れとしての教会を指している。教会が、群れとして、一人の神に一つの礼拝をささげる。群れとして頭なるイエス様に真実な、一つの礼拝を捧げる集まりとさせていただきたい。
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