礼拝は、救われた神の民、天国の先に召された兄弟姉妹や世界中のクリスチャン、迫害に耐え忍ぶ教会とも連帯しながら、主に礼拝を捧げる。
1.礼拝―神のあわれみが前提
私たちには、「礼拝」することが許されている。私たちが救われ、神を知り、「礼拝の民」とされたことは大変な恵みであり、主のあわれみである。
2.礼拝―自らをささげる。
礼拝とは、究極的には私たち自身を主にささげることである。パウロは、「あなたがたのからだを、・・・献げなさい。」と命じている。体を「罪と欲」にささげるのではなく、聖い、生きた供え物として「神」にささげる。
3.礼拝―みこころに従って生きる
この世と調子を合わせることは、神にささげるものを神から取り返して、この世にささげることであり、神でなくこの世に献身すること。むしろ「神のみここ
ろ」に自分を合わせ、「神のみこころは何か」を知りみこころに従って生きる。私たちを本当に変えてくださる「聖霊の働き」に意識的に自らを委ね続け、明け
渡し続け、変えられ続けてゆくこと。
4.礼拝―ひとつの礼拝
礼拝は単数で、群れとしての教会を指している。教会が、群れとして、一人の神に一つの礼拝をささげる。群れとして頭なるイエス様に真実な、一つの礼拝を捧げる集まりとさせていただきたい。