主の選びをすべて受け入れ
たことが、マリアを救い主の母としました。マリアは、天使によって告げられた言葉は、主から来たと知ります。彼女はその意味を問いながらも、その権威を
疑っていません。天使ガブリエルのメッセージは、自分の生活をまったく変えてしまうことを感じ取り、恐れてもいます。しかし、逃げることをしません。「あ
なたは身ごもって男の子を産みます。その子はいと高き方の子と呼ばれます」という言葉を聞いて彼女は、「どうして、そのようなことになりえましょう。私は
まだ男の人を知りませんのに」と尋ねます。すると、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」夫の代わりに聖霊があなたを覆う。そ
の子の実の父は天の父である。
それに対して、マリアは、完全な服従をもって応えました。「お言葉どおり、この身に成りますように」と。そのことによって、人となられた創造主イエスの
母となりました。ヨセフとの結婚生活に入っていない中での妊娠出産。不貞の女として、姦淫の女として、死を覚悟しなくてはならないかもしれない。家族、親
戚、隣近所、みな理解されない。何よりも、愛する婚約者ヨセフからの愛を失う。彼とのささやかで穏やかな幸せが失われる。すべてを覚悟の上で「お言葉に従
います。」と。一点の曇りもなく「はい」と応答した女性の内に、主は肉体を宿すことを選ばれました。
彼女の人生は常に、神の意志への完全な服従であり、信仰によって自己を無にし、愛する息子の死という暗闇に足を踏み入れました。無実の愛する息子が、陰
謀によって惨めな十字架刑で殺される。これほど苦しくつらいことはありません。ご自分のひとり子を差し出すほどに私たちを愛された神の愛の意味を、彼女ほ
ど完全に示してくれる人物はいないでしょう。マリアは誰よりも恵みを受け、誰よりも苦しんだ人です。