1.柔和な王
主イエスがお生まれになった時、エルサレムの人々は王が生まれたと思っていた。それから33年が過ぎ、イエス様は王としてエルサレムに入られた。イエス
様は、子ロバに乗ってエルサレムに入られた(ゼカ9:9〜10)。柔和な王、僕としての王、過ぎ越の子羊としての王の姿である。この世の王は力で人々を支
配するが、主イエスは人間の罪のため十字架につき、血を流し、人に仕える「僕としての王」となられた。頭には茨の冠をかぶせられ、十字架には「ユダヤ人の
王」と書かれた。それゆえ主イエスこそ「王の王」(黙示17:14)である。
2.イエス様を王として迎えよう
主イエスは今も私たちが王として迎えることを求めておられる。イエス様は主である(ロマ10:9、1ペテ3:15)。信仰を持つとは、自分の人生で、主
権交代が行われることであり、主権、王権を放棄する無条件降伏である。イエス様を信じるとは、イエス様を自分の全生活における王として、主として迎えるこ
とである。自分の冠を御座にささげる(黙示4:10)ことである。教会においても、イエス様が主であり教会の頭、王である。イエス様を主、王として礼拝す
るのでなければ、人間としての本当の幸せはない。礼拝をささげるべきお方を殺してしまう罪深さ、王であり主である神を十字架で殺す罪深さが内にないかを自
省し、悔い改めよう。