2019年11月24日
 マルコの福音書 10章17〜31節
題目 「主のまなざし」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)

1.何かをすることによって、永遠のいのちを受け継ぐことはできない
 行いによる道は、律法のすべてを完全に守らなくてはならず、人間には不可能である。それを理解させるために、持ち物を売り払うことを命じた。律法による義は不可能であり、信仰による義の道が示された。(ロマ3:21、22)

2.行いや持ち物にしがみつかず、主の愛の中に飛び込もう
 主の救いの中に飛び込むと言うことは、他の物に頼らないと言うことであり、他のものを捨てると言うことである。「子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに、入ることはできません」(10:15)
 このみことばは、言い換えればマタ11:28への招きでもある。「私の所に来て休みなさい。」そう言っていただくことである。もっと良いことを、もっと一生懸命しなさい、まだ足りない、もっとがんばれ、ではない。
 主イエスは、この男を主はじっと見つめられ、愛を深く注ぎながら、「他の何かに頼ることを止めて、私に頼ってきなさい。財産、地位、家族にさえも頼らずに、私に頼りなさい。」そう招かれた。
 私たちも、子どものようになって、イエス様にふれていただき、抱きしめてもらい、イエス様のふところに飛び込んで、そしてイエス様について行きたい。イエス様とどこまでも共に生きてゆきたい。その延長が、その結果が「永遠のいのち」「神の国」である。
 だから教会は、どんな時でも、そして死に至るまで、イエス様に抱かれながら、イエス様と共にどこまでも歩んでゆく。
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