「過越の子羊が屠られる、
種なしパンの祭り」は「過越の祭り」のことである。これは、イスラエル民族がエジプトを脱出する時、エジプトへの10の災害の最後の災害の時に起こった出
来事から来ている。神様は、エジプトの地のすべての家族の最初に生まれた男子を殺すと警告された。しかし、神様はイスラエルの家族をこの災害に合わせたく
なかった。そこで、神様はご自分が送ることにしていた滅ぼす者から逃れる道を、ご自分の民に示された。神様は、羊を屠るよう命じた。そしてその血を取って
家の門柱と鴨居に塗るよう命じられた。夜に滅ぼす者である死の使いがやってきた時に、その血を見てその家を過ぎこすことになっていた。たとえイスラエル人
でなくても、エジプト人であっても、同じことをすれば死の使いから逃れることが出来た。殺された子羊は、神の裁きの過ぎ越しのための羊であった。イスラエ
ル人が死ななくていいように、羊が代わりに死んだ。神の民は、毎年過ぎ越しの祭りを祝う時、羊を殺して食べた。神様がして下さった大いなることを思い起こ
すために、過ぎ越しの食事をした。
この過ぎ越しの子羊は、主イエスを表している。神の民が死ななくていいように、裁かれなくていいように、神の子羊キリストが死なれた。神様が人間の罪を
裁くために来られる時、神様は、罪のために流された神の子羊の血を見られる。その血を見て、神様は神の民を過ぎ越され、裁くことをなされない。
イエス様が弟子たちと最後に共にされた食事は、過ぎ越しの食事であった。主イエスは、これを新約の礼典として私たちにお与えになった。最後の晩餐の時、
イエス様は弟子たちと共に食事をし、パンを裂き、これはあなた方のために裂かれる私の体である、と言って弟子たちにお与えになった。また、これはあなた方
のために流される私の血である、と言って杯をお渡しになり、これは罪の赦しのため流される私の血である、と弟子たちに言われた。そして私が再び来るまで、
私を覚えてパンを食べ、盃を飲むよう命じられた。洗礼と同じく主の晩餐は、神がその民と結ばれた契約のしるしである。