主イエスが、心を込めて語
られた教えが続いている。十字架刑のことが予告され、緊迫感が増す中で、ゼベダイの子たちの母がイエスに願い事を告げた。「私のこのふたりの息子が、あな
たの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」(20〜21節)
1.ヤコブとヨハネの母は、心にあった願いを口にしてしまった。そこには、偉くなりたい、人の上に立ちたい、人に認められたい等々、生まれながらの人間に
ある上昇志向があり、弟子たちの中にそのような思いがあったとは驚きである。(マタイ18:1〜6、ルカ9:46〜48、22:24〜30)
2.イエスは弟子たちに、考え方を変えなさい、物の見方や自分の生き方そのものを変えなさい、と言われた。「・・・あなたがたの間で偉くなりたいと思う者
は、みなに仕える者になりなさい。・・・人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」世間では、決して思いつかない考え方、生き方を
教えられた。なぜなのか・・・?
3.主イエスが世に来られたのは、十字架で罪人の身代わりとなって死ぬためであった。(28節)「仕えられるためではなく、かえって仕えるため」である。
「贖いの代価として」ご自分の「いのち」を差し出されたイエスに倣うのが、イエスの弟子である。私たちが、十字架の主イエスを、救い主キリストと信じるな
ら、そのお方に倣って、私たちも「みなに仕える者になる」ことを、心の底から良しとする信仰へと進ませていただくことが大事となる。
<結び> 仕えることを大事にした「リーダーシップ」こそである。心から仕える人がリーダーになるなら、その組織はより良く整えられるに違いない。教会が
教会として整えられるために、十字架の主イエス・キリストに倣い、一人一人が「仕える者になる」ことがカギとなる。牧師も長老も執事も、その務めの本質は
「仕える者」である。世に在ってキリストの香りを、また光を放つようになるために、主イエスの教えを決して忘れないように!