1.異教をどのように評価したらよいだろか
パウロはアテネの人々を「宗教心にあつい方々」(22)とまず評価する。相手の信仰心、大切に思うものに対して一定の敬意を払うことは大切であり、伝道
はそこから始まる。一方パウロは「朽ちない神の栄光を偶像に替えた。」(ロマ1:23)と語る。異教とは、決して独自の起源を持つのでなく、罪の結果、神
への信仰をゆがめ、投影したものである。偽りの神々も、その原型、ルーツは真の神であり、神へ向かう可能性を持っている。
2.神は天地の主である
創造主なる神は、人によって造られたのではなく、人を造られたお方である。しかも遠く離れておられるのではなく、私たちの近くにおられる。私たちに無関心ではなく、私たちを愛し、その一人子を私たちの救いのため、十字架につけてくださったお方である。
3.悔い改めて神に立ち返ろう
神は、今すべての人に悔い改めを求めておられる(30)。イエス様の宣教の初めは「悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)である。主との関係の回
復がまず第一であり、その為には罪の悔い改めと、十字架の赦しを信じることが必要である。地上で悔い改めなかった未解決の罪は、天国で清算しなくてはなら
ず、神の前で申し開きをしなくてはならない(ロマ14:12)。悔い改めは、1回限りではない。生涯悔い改め続けよう。