アブサロムには、子として受け入れられることへの悲痛な魂の叫びがある。ダビデが溺愛していた長男のアムノンは異母妹タマルを辱めた。彼女の兄アブサロムは父ダビデが正しく裁くことに期待したが、ダビデはアムノンの罪を正しく取り扱い、処罰することをしなかった。
アブサロムは2年が経過しても一向に裁きが下されない。妹タマルの苦悩は深まるばかり。アブサロムの苦しみは行き場を失い暴走する。彼は兄を殺害した。
父が正しい裁きを下さないため、アブサロムは自らの手を復讐の血で染めた。アブサロムはその後、3年間の逃亡生活を続けた。しかしダビデは彼に会いに行く
ことはなかった。アブサロムの罪を放置したまま、ダビデはアブサロムと向き合おうとしなかった。最も必要とされていた時に、ダビデは隠れてしまった。自分
への無関心と受け止め、叱られず懲らしめられないことによる拒絶感を覚えた。アブサロムは絶望し憎しみを抱き、周到な準備の後、アブサロムは父ダビデに復
讐を果たすが、やがて命を落とす。正しく裁いていれば、アムノン、アブサロム双方が命まで落とすことはなかった。ダビデは不完全な父親だった。子供に真に
向き合うことができなかった。私たちも不完全な父親で、私たちの親も不完全である。正しいモデルが無い。しかし、聖書にある。
イエス様は、何度も失敗したペテロに向き合い続けた。イエス様を2度も裏切ったペテロに向き合い、回復するように祈り、よみがえられた後にガリラヤ湖畔で、私を愛するか、と向き合われ回復させ立ち上がらせた。
ヨハネ21:15