2019年4月14日
 マルコの福音書 15章33〜39節
題目 「キリストの十字架」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 神の呪いを象徴する暗闇が全地を覆った。父なる神が子なる神に背を向け、神の怒りが御子イエス様に注がれたことを 象徴している。永遠の初めから存在していた父と子の決して曇ることのない交わりが、その時には完全に断たれた。地獄とは、神から完全に引き離されることで あるならば、その時確かにイエス様はその苦しみを味わわれた。父なる神との交わりを隔てるものとは、ただ罪のみである。しかし、御子はいかなる罪もなかっ たので、御子にこのような苦しみを味わわせたものは、ただ私たちの罪のみであった。ここに十字架の核心がある。

 その光景を間近で見ていたローマの百人隊長は、イエス様のお姿を見て「この方は、本当に神の子であった」と言った。これは、マルコの福音書で最も重要な 言葉の一つ。この信仰のことばを呼び起こしたのが、イエス様の死であり、イエス様の十字架の上での叫びだった。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨 てになったのですか」この言葉を聞きながら、隊長に信仰の告白のことばが生まれた。この主イエスの言葉は、詩編22編の最初のことばである。それは主イエ スが十字架の上でもなお礼拝をささげておられたことを意味する。父は全力でご自身の子を突き放し、子は全力で父の拒絶を受け止めている。主イエスは、父な る神に見捨てられ、確かにここで地獄を経験された。そこでなお礼拝をし続ける。そこに主イエスが神の子であることが鮮やかにあふれ出る。百人隊長が見たの はそれであろう。「この方の父なる神は、確かに生きておられる」、この隊長はそう認めざるを得なかった。
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