2018年10月28日
 創世記 1章31〜2章3節
題目 「続・労働と安息」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 安息日の起源は、天地創造の終わりに神がその業を休まれたことにある。神の形として、神に似せて作られた私たち人間は、神に似る生き方を求められている。

 十戒での安息日の規定は、神が6日間働かれ、7日目に休まれたのでイスラエルもそのようにしなければならないと、創造の事実に置かれている。安息日を守 ることは契約のしるしであり、神との人格的な関係そのものを指す。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルでは、安息日を守ることが契約そのものと同等の重要性をも つものと考えられ、特にエゼキエルでは、安息日を守らないことが、捕囚の原因として強調されている。

 新約の時代では、安息日を守り主に礼拝をささげることは、キリストが十字架で流された血により、私たちが神の民、キリストの花嫁とされている契約のしるしである。

 旧約時代、安息日を守ることが、神の民の契約のしるしであったように、新約の時代も、安息日に私たちはキリストによって招かれ、キリストのよみがえりを共に祝う契約の祝福に入れられている。

 安息日は「聖」であり、神が安息日を「聖」としたので、人もそれを「聖」としなければならない。
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