2018年9月9日
 創世記 1章14〜25節
題目 「天と地の創造・後半」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

1.主は時を定められた
 神は太陽、月、星を造られることによって、時を定められた。これは人が定めたのではなく、主の創造された時間の法則であり、人がこの時間の流れに従って 生きている。時間の流れを人が決めることが出来ないように、わたしたちの人生の主も、自分ではなく創造主である。この今という瞬間も主が造られたのであ り、与えられた時間の中で今生かされていることを覚えよう。(詩篇118:24)
 では、1日目の光とは何だろうか? それは神ご自身の栄光が輝き、キリストが光り輝かれたのであろう。(ヨハネ8:12、9:5、マタイ17:2、黙示21:23)

2.主はいのちを豊かに満たされた
 神は、空しいこの世をいのちで満たされた。主の創造は、いのちにあふれ、繁栄で満ちている。主の創造によって、この世は生き物でいっぱいになり、いのち で豊かにされた。主が与えようとしておられたのは、「豊かないのち」であった。人が罪を犯したことにより、この世は死の力の支配の下に置かれてしまった が、主イエスは死の力を打ち破って、私たちに復活のいのちを与えてくださった。(ヨハネ10:10)

3.主はそれを良しと見られた
 主に良しと見ていただくこと、これが被造物の存在目的である。罪が入ってくる前のこの世界は、とても良い状態でその存在目的をよく果たしていた。人間も被造物にすぎない。人間の存在目的も創造主が見て良しとされること、つまり主の栄光を表わすことである。
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