聖書を読むとは、創造主を知ってゆくことに他ならない。神が天と地を創造した。これは説明や証明ではなく、宣言。
この事実は、自分とは無関係なのではなく、自分とこの世界すべてが神によって創造されたという信仰告白が必要。人が悔い改めて福音を信じることは、霊的再
創造。創造主の中にのみ、人生の真の意味や目的を見つけることが出来る。人間は自然法則の下で生きているように、創造主に服従して生きていかなければなら
ない。神を認めないことが、罪の核心。それは自分自身の存在意義を否定することになる。私たちを造られた神の中にいるときにこそ、自分の存在目的と生きる
意味を見出し、いのちと豊かな方向性のある人生に変えられる。
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」ヨハネ10:10
主はみことばを通してすべてを創造された。ことばを通して主はご自身のご計画をすべてその通りに創造された。誤りない主のことばとしての聖書は、すべて
必ず実現する。主のみことばを信じ従うときに、心にある混沌や、むなしさ、暗闇が消え去り、主のご支配によって導かれる。キリストはことばであり、いのち
であり、光である。キリストを信じる者は、再創造を経験し、永遠の命を与えられる。罪によって堕落し、滅びるしかない人生から、めぐみに満ちた主が備えて
くださる人生へと回復される。
主は人間が住むことになるこの世を、最高に美しい環境に創造された。