1.教会には指導者が必要である
指導者は「仕える人」「しもべ」の心を持っていなければならない。ルカ22:26指導者は、しもべとして仕えることから始めるべきである。
2.「仕える者(ディアコノス)」とは執事、奉仕、給仕、接待、お世話の意
ディアコノスという言葉は、必ず人が対象になっている。「奉仕とは魂に仕えること」である。イベント、プロジェクトが教会の奉仕の第一の努めではない。
対象は人であり、仕事そのものではない。イエス様も魂に「仕える(ディアコノス)」ために来られた(45)。「奉仕(ディアコニア)の働き」の目的は「キ
リストの体の建て上げ」(エペソ4:12)である。それは、キリストの体である魂一人一人に仕えること。つまり、魂の救いと建て上げである。この優先順位
が分からないと、組織、プロジェクト、ルールのために魂を犠牲にすることになってしまう。
3.愛を持って仕えることが、教会の「奉仕(ディアコニア)」の姿。
教会の奉仕とは「愛の実践」である。「愛は多くの罪を覆う」(1ペテ4:8)。愛を持って罪、失敗、足りなさを覆う。奉仕の現場では、だれもたましいが
傷つけられず、決して裁かされず、悲しい思いを持たず、徳が立てられ、プロジェクトよりたましいが大切に扱われ、たとえ誰かが失敗しても、愛によって覆わ
れ、さり気なくカバーされ、ごく自然にフォローされ、赦しの業がなされ、愛の絆、一致が深まることによって神の栄光が現される、これがディアコニアであ
る。私たちも互いに足を洗い合おう。