2018年5月20日
 使徒の働き 3章1〜11節
題目 「私にあるものをあげよう」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 十二弟子とは、生まれも育ちも良くない荒くれ男たちの集まりだった。ペテロはその代表だった。しかし主イエスは、彼らに教会の未来をまかせた。主イエスは弟子たちを選ばれたが、その基準は「外見」や「性格」ではなく、心にある「可能性」だった。

 主イエスは、彼らに愛のモデルを示された。彼らは、主イエスが足の不自由な人や取税人や遊女を愛する姿を、すぐそばでいつも見てきた。また時間のある限 り、主イエスは弟子たちに心を開き、真理を語ってこられた。弟子たちに忍耐深く接し、間違いを正し、彼らが何度失敗しても弟子たちを見捨てることはなかっ た。十字架で弟子たちが主イエスを見捨てた後でさえも、主のほうから彼らの所に来てくださった。ガリラヤ湖の岸辺で、主イエスはペテロに会って下さった。 その時「あなたはわたしを何度も裏切ってきたね」とも「もうあなたはやめて、他の弟子を選ぶつもりだ」とも言われず、「わたしを愛するか」と聞かれた。こ れは聖書に記されている最も美しい場面である。

 主イエスの愛と聖霊によって変えられたペテロたちは、生まれてから一度も歩いたことのない人に出会った。ペテロたちは自分たちがそうしてもらったように 彼の「外見」ではなく「可能性」を見つめた。ペテロたちは主イエスが彼らにそうされたように、これからどう成長して変わるか、将来の姿を期待とともに見つ めた。そして自分にあるものを彼に分け与えた。
 これは私のような者にも希望を与えてくれる。主イエスがペテロを見捨てずに用いて下さったのなら、私たちをも同じようにして下さる。
このウィンドウを 閉じる