1.十字架の予告
「ガリラヤを通って」これまで伝道に専念していたガリラヤを、ただ通り過ぎられた。「人に知られたくないと思われた」お忍びで、ご自分を隠された。それ
は、エルサレムへの道に集中し、弟子たちに十字架と復活を教えるためだった。ご自分の亡き後をまかせる弟子たちを訓練するために、もう人々のいやしを行う
時間もないと考えられた。
2.弟子たちの論争
主イエスの苦難の予告をよそに、弟子たちは「誰が一番偉いか」を論争していた。私たちも何人かが集まれば、そこに「誰が一番偉いか」の形を変えた意地の張り合い、ライバル意識のようなものが出てくるのを見る。
3.しもべとなれ
主イエスは家の中で一人の子供を真ん中に連れてきて、抱き寄せられた。そして幼子をも受け入れる謙遜さ、人に仕えるしもべになることを教えられた。先頭
に立つということは、人の一番後について行くことであり、子供のような立場の人にも仕えることであり、それはまさに主イエスの生き方にならうことであり、
主イエスに仕えることである。