本日の聖書箇所は2つに分かれます。31〜33節と、34節以降です。
先ず31〜33節では最後の審判の時、神は私たちを「羊」と「ヤギ」に分けられます。
その意味とは、一方では神様の祝福、御国を受け継ぐ者とされること、もう一つは神ののろい、永遠の裁きの中に入れられる者とされることです。
そして34節以降は、隣人愛についてどのように考えるのか、です。
35節以降の空腹と渇きは日常的に困っているもの、旅と裸は特別な状態の時に困っているもの、病気と牢は肉体的に困っているものあるいは社会的な困難を意味するでしょう。
賀川豊彦の『贖罪愛』。
贖とは『人の欠点を自分の欠点とし、連帯責任として受けることを指し、人の欠点を自分の欠点にする』という意味で、賀川先生独自の神学です。
他人の痛みは自分の痛みであり、もしそのことを覚えたら愛の実践をしなければならない、と賀川先生は語っています。
40節の「最も小さい者」とは一体誰のことなのでしょうか?
一緒に考えていきましょう。