2017年12月3日
 マタイの福音書 28章16〜20節
題目 「主の宣教命令」
桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 教会は何のために存在し、何をすべきでしょうか?一般的に「神の栄光のため」だと答えます。具体的には、

 第一に神を礼拝することです。神が私たちを世から召されたのは、ご自分にふさわしい栄光をささげるようになるためです。ですから教会の義務は神を礼拝す ることです。主日礼拝以外の、私たちの人生すべてが礼拝として捧げられなくてはなりません。信徒の存在自体が礼拝だからです。

 第二に、教会は、世を救うために存在します。教会はキリストの証人として世から召しだされ、もう一度世に派遣された集まりです。地の果てまで福音を伝え ることは、すべての信徒がしなければならない最も重要な義務です。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エ ルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒1:8 信者すべてはこのことのために召され、このことを遂行 するための賜物が与えられています。

 第三に、教会は信徒を養育して訓練するために存在します。イエス様は、世を去るときに、ご自分のみ言葉に従うまで教えよ、と命令なさいました。それでこ そ弟子が造られる、と言われました。教会はそのご命令に従い、イエス様に似せられてゆく弟子を育て続けなくてはなりません。
この3つは、それぞれ別々に機能するのではなく、互いに密接にかかわっています。礼拝と伝道と訓練のどれ一つも、おろそかにできないのです。
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