1.弱さをかかえたままで
12人、それが新しいイスラエルである教会の始まり(ガラテヤ6:16)であった。彼らは弱さを抱えたまま、遣わされた。礼拝において、説教者、司会
者、奏楽者がまず悔い改めてひれ伏すところから礼拝が始まる。自分自身の不信仰、疑い、弱さ、恐れと向かい合い、そこから悔い改めて立ち上がりながら、悔
い改めを説くために遣わされてゆく。
2.主に頼る訓練
何も持たずに行きなさいとの命令は、主に信頼する訓練であった。信仰とは、主に任せなさいと説くこと。自分自身が信頼に生きるとはどういうことかを体験させた。私たちは本当に主に信頼しているだろうか。
3.足の裏のちりを払い落とす覚悟で
ユダヤ人は、外国に行った帰りに、国境で足のちりを払い落とす習慣があった。異教の汚れを国内に入れない、異教のものは、ちりですらかかわらなかった。
「足の裏のちりを払い落とす」とは、「福音を受け入れないなら、キリストを王として受け入れないなら、キリストの王国に無関係な者、天国の国籍を持たない
者として数えられる」との警告の意味をもっていた。福音を拒む事は、拒む者の責任となる。だからこそ熱心に伝えよう。