2017年8月13日
 ヨハネの黙示録 3章19〜21節
題目 「教会の主」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

1.教会の外で戸をたたかれる主
 ラオデキヤ教会は、イエス様がご自分の教会に入れず、外から戸をたたかれる、そんな教会だった。実は、日本の教会も、同じ失敗をした。敗戦まで、日本の教会は、イエスさまだけをただ一人の「主」とせず、天皇をも「主」としてしまった過去を持つ。
 戦時下、日本の教会は全て日本基督教団に統合されたが、その責任者富田牧師は、全教会の代表として伊勢神宮で天照を参拝した。それは、日本全部の教会が 天照と天皇に礼拝をしてしまったことになる。同時期、韓国朝鮮の教会は、必死で、天皇や、神社に礼拝することと戦っていた。
日本の教会はなぜ間違ったのか。それは、イエス様だけをただ一人の主人としていなかったから。イエス様は「はい」は「はい」「いいえ」は「いいえ」とだけ言いなさい(マタイ5:37)と命じた。教会はこの単純さを身につけるべきである。

2.悔い改めよう        
 教会の主であるイエス様は、黙示録の七つの教会に「悔い改め」と「行い」を命令している。「行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨ ハネ8:11)とのイエス様のことばに心から従い、二度とふたたび同じあやまちを犯さない覚悟で向きを変え、イエス様に従う生き方をすることである。

3.イエスさまだけを主とあがめよう
 私たちの教会は、イエス様が本当に「主」となっているだろうか。もしそうでなければ「あなたの燭台(ショクダイ)をその置かれた所から取りはず」(黙 示2:5)される。しかし心の戸をあけ、イエスさまを主人として本当に迎えるなら、幸いな交わりが回復する。教会はキリストの花嫁であり、地上の苦労に代 えて、王妃としてやがてイエス様といっしょに王座につく。
  私たちの唯一の主であるキリストと共に負う苦しみ、共に担う十字架は、終わりの時にそのまま花婿と花嫁の深い絆となる。(黙示19:7)
このウィンドウを 閉じる