1.さあ、向こう岸へ渡ろう
・「向こう岸」とはゲラサ人、つまり外国人の住む土地(5:1)。
・イエス様はツロ・フェニキヤ、シドン、ピリポ・カイザリヤ、デカポリス、サマリヤ、ペレヤ(ヨルダンの向こう岸)の外国に伝道した。パウロは最初から最後まで外国人伝道をした。
・もし教会が「向こう岸」に渡らなかったら、日本にイエス様のことは伝えられず、私たちはイエス様を知ることも信じることも出来なかった。
・イエス様は泉教会にも「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言っておられる。
2.嵐をしずめてくれるイエス様
・イエス様がいっしょなのに、嵐を恐れる弟子たち。
・イエス様は「起きあがって」風と湖をしかりつけると嵐は静かになった。
・弟子たちは、「いったいこの方はどういう方なのだろう」と言った。
・嵐よりも力強い主イエス。しかし弟子たちは嵐を見て、共にいてくださる主イエスを見ようとしなかった。
・苦しいこと、つらいこと、悲しいこと、そのような現実に目を向けてしまい、心が縛られてしまうと、イエス様が共にいてくださることを忘れてしまう。
3.世の終わりまでいっしょにいてくれるイエス様
・どんなに苦しくつらく困ったときでも、イエス様がいっしょなら何とかなる。人間関係、仕事、お金、家族、病気、死も怖がらなくていい。
・よみがえった主イエスに会った弟子たちは「いったいこの方はどういう方なのだろう」とはもう言わなくなった(ヨハ21:12)。イエス様とはどんな方か本当によく分かったので、もう怖がらなくなった。
・よみがえったイエス様が「見よ。私は世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます」と約束して天に帰られた後は、見えないけれども、イエス様がいつもともにいてくださることがよくわかったので、もう恐れなくなった。
・私たちとも、いつでも、どこでも、どんな時でも、イエス様はともにいてくださる。ならばもう何も恐れることはない。