2017年7月9日
 マルコの福音書 4章21〜25節
題目 「聞く耳を持つ」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

1.明かりは照らすためにある
 弟子たちは、イエス様がいつもたとえを使うことを不思議に思い、「真理を隠すために、たとえを使われるのですか」とたずねたのだろう。それに対してイエ ス様は、「明かりの目的は、照らすためにある。人の目に隠されているように見えても、それは必ず明らかにされる。」と言われた。たとえは、はじめはよく分 からなくても、その意味が分かると強い印象を残し、その真理をより深く理解できる。「種まきのたとえ」も非常に重要な神の国の真理を、身近で大変わかりや すくたとえられている。
 
2.聞き方に注意しよう
 そのためには、聞く側の態度、心がとても大切である。聖書を専門に研究していた律法学者たちは、学者でありながら聞く耳を持たなかった。彼らは結局、神 の国の真理を理解することが出来ず、主イエスを十字架にかけた。しかしたとえを聞いていた群衆の中には子どもたちもいただろうし、彼らも喜んでたとえを聞 き、後で理解しただろう。
 
3.量るように量り返される
 すべての人は、キリストをどのように量るか、それによって今度はキリストからそのように量り返される。「あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです」(ダニエル5:27)
 やがて生の世界から死の世界に移るとき、最も重要な最終試験がある。キリストをどのように評価していたか。それと同じようにキリストから評価される。聖 書をどのように評価していたか。そのように聖書によって評価される。その時、キリストはすべての人を羊と山羊とに分けられる。その中間はない。(マタイ 25:31〜46)
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