1.心配せずに信仰によって最善を尽くす
明日はどうなるかわからない。神から目を離すと、その不安だけが心に満ちて心配は尽きることがない。しかし、神ご自身が心配してくださる(詩55:
22)。ナオミとルツはベツレヘムに戻ってきたが、生計を立てる当ては全くなかった。経済的には、明日の糧もままならない状態だった。しかしルツは心配す
るのではなく、ただ神の憐(あわれ)みにすがり、自己憐憫(れんびん)や落胆に陥らず、信仰によって、一歩前進する(2:2)
。何もしないで神が天からパンを降らせてくださるのを待つのが信仰なのではない。信仰とは、心配を振り払って前に踏み出し、最善を尽くして実行することで
ある(ヤコブ2:17-8)
。クリスチャンは、何事にも勤勉に行うべきである。(1テサ4:11-12、2テサ3:6-12)イエス様もパウロも、働くことの模範を示した。
2.慰めと希望を与える神
夫を亡くし、悲しみの中にもナオミを支え、険しい旅に耐え、社会の最下層の仕事を始めたルツ。神はどん底の生活をしているルツに、恵みの手段としてボア
ズを備えておられた。ボアズは彼女に最大限の配慮をした。ボアズの配慮はどれほどルツの心を潤したことだろうか。ボアズの無条件の愛は、私たちのために十
字架をしのばれた主の恵みを思い起こさせる。
一度は自分の土地、自分の民族を捨ててモアブに逃れ、悲しみと恥の中にすべてを失って帰ってきたナオミを、神は見捨てられなかった。主に立ち返り、主に
頼る者を、主は今も決して見捨てず、見放さない(申31:6、8、ヨシュア1:5)。たとえ失敗しても、神に希望を置くものを主は必ず恵んでくださる。神
は、信仰によって生きる者に、今も豊かな恵みを与えてくださる。