2017年6月18日
 マルコの福音書 4章1〜9節
題目 「種まきのたとえ」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

1.心を開いて主のことばを聞こう
 「よく聞きなさい」(3)「聞く耳のある者は聞きなさい」(9)
心を開いて欲しい、耳を開いて聞いて欲しい、と主が頼んでおられる。

2.悔い改めの心を持とう
 何度種をまいても、実を結ばない。イザヤは預言者として、そのような苦しみを味わった。(イザヤ6:9、10) 主イエスも同じように、何度種をまいて も人々は悔い改めなかった。主のみことばを受け入れない心、悔い改めない心は、ついに主イエスを十字架につけてしまった。主の言葉を聞く心、聞く耳を常に 持とう。

3.私たちも種をまこう
 主はご自分を種としてこの地に蒔いてしまわれた。麦は自分が死ぬことによって、たくさんの実を結ぶ。まず主が一粒の麦として死んでくださったことによ り、教会が生まれた。(ヨハネ12:23-26) 私たちは一度誘って断られたと、がっかりすることはない。なお信仰を持って種をまこう。3つの種の無駄 に見える犠牲がどうしても必要である。道ばた、岩地、いばらへの無駄に見える働きが4つ目の種につながり、やがて実が結ばれる。
 私たちの働きによって、一人の人が救われて天国で再開できたら、それだけで私たちの一生は意味がある。
私たちが一粒の麦となって死ぬために救われた。そしてこの泉教会も一粒の麦となって死ぬために集められている。泉教会には、この地域のまだ救われていない魂への伝道の使命がある。
 まだ救われていない人々を救いに招くために、一粒の麦となって死ぬために、この泉教会がある。キリストの教会は、自己目的化されてはいけない。泉教会は、自分たちのためにあるのではなく、未信者のためにあること、一粒の麦となって死ぬためにあることを覚えよう。
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