2017年5月7日
 マルコの福音書 3章20〜30節
題目 「聖霊か悪霊か」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

1.主イエスの戦いは悪霊との戦いであった
・ 主イエスの戦いは、この世を支配しているサタンとその支配下にあるもろもろの悪霊との対決だった。
・ そのことを身内の者も理解できず、律法学者は悪霊どものかしらによって悪霊を追い出していると非難した。
・ 主イエスはたとえを使って、内部分裂があっては立ち行かないと反論された。

2.主イエスの戦いは私たちを真の家に住ませるための戦いであった
・ サタンのとりこになっていた者を解放するため、罪の力を追い払うために、主イエスは来てくださった。
・ そして私たちを真の家、永遠の家である「父の家」(ヨハネ14:2)に入れてくださる。
・ 主イエスが造られた家、神の国は、この地上においては教会である。

3.聖霊を汚す罪を犯してはならない
・ 聖霊を汚す罪とは、単にキリストを否定することではない。悔い改めたペテロは赦されている。「聖霊を悲しませ」(エペソ4:30)たり、「御霊を消す」(1テサ5:19)ことでもない。これらの人々が救いから除外されることはなかった。
・ 聖霊を汚す罪とは、聖霊の働きを、意識的に、故意に、悪意を持って拒否する罪である。主イエスは律法学者たちの前で数々の奇跡を行ってきた。イスカリオテ のユダはさらに間近で聖霊の働きを見てきた。つまり「光を受け」「天からの賜物の味を知」った(ヘブル6:4)。それにもかかわらず、彼らは主イエスを冒 涜した。聖霊を悪霊呼ばわりし、主イエスのわざをサタンのわざとすることは、まさに悪魔的反抗である。
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