2017年3月12日
 ヨハネの福音書 7章1〜9節
題目 「歴史と愛」
加藤 正之 先生

説教(奨励)要旨

 歴史には悲しみと困難がなぜ多いのか。

 <神に愛された民族の記憶>ユダヤ人はその時の感動を三つの祭りとして記憶して来た。この祭りに参加するのを義務とした。
(1)「過ぎ越しの祭り」奴隷状態からの解放を記念した。
(2)「7週の祭り」はその脱出から40日後シナイの山に着き礼拝し、更に10日後、神の言葉を受けた。
(3)「仮庵の祭り」荒野を粗末な家で過ごしたことを記念。
 この1640年後にイエスはこの祭りの下で誕生したと言われる。特に一番盛んであったのは仮庵の祭りであった。以上の祭りの背景に民族の苦難と歓喜の歴史が刻まれていた。当然イエスも行く筈。祭りの核この主でしたから。(14節)

 しかしユダヤ人はイエスを殺そうとして祭りに上ります。(1、11節)
この祭りに秘められた神の愛の計画を彼らの肉欲が見ることを阻んだ。

 主の家族も世にイエスを知らせるためにイエスを誘った。(4節)
人間的な配慮から、イエスの<時>(6節)を知らなかったから。
イエスはガリラヤにとどまった。(9節)
祭りの中ごろイエスはエルサレムに上った。(10節)
祭りの終わりの大いなる日に(37節)イエスを信じる者は、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(38節)とメッセージを伝えた。

 <結論>
 神の愛と赦しと救いの約束を抱き望みながら歩む人生にも苦しみがないわけではない。しかし、私たちの苦しみの時は神の時。「しかし、私は主にあって喜び 勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」(ハバ3:18)
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