2017年2月26日
 マルコの福音書 2章18〜22節
題目 「なぜ断食しないのか」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

1.ヨハネの弟子とパリサイ人の質問
 主イエスは、つまはじきにされていた人々とよく会食会をした。バプテスマのヨハネの弟子とパリサイ人の両グループは「なぜ断食しないでパーティーばかりするのか」と質問した。
イエス様は荒野で40日の断食をしたが、その後は断食をされた記事は無い。むしろ「食いしん坊の大酒のみ」と非難されている。
 「断食」は「教会のしるし」(それが無ければ教会ではない)にはならなかった。
 断食は、国家の危機、罪の悔い改め、またある問題のために主に深い祈りをささげるときに行う。断食そのものが目的なのではなく、罪を捨て、主のみこころを行うためのものである。(イザヤ58:3-7)
 イエス様は断食を特に勧めていない。もし断食をするなら偽善者のようにせず、人に見られないように、あくまで主の前に自らを戒め慎むよう教えられた (マタイ6:16-18) 。断食は、祈りに専念するために行われるものである。

2.主イエスの答え
 「あなたは結婚式の喜びの時に、ご馳走が山ほどあるところで断食などしないだろう。花婿がいる場では断食など出来ないはずだ。」
 旧約のイスラエルの花婿は神であり、新約のイスラエルである教会の花婿はキリストである。「その花婿が今ここにいるのになぜ断食をしなくてはならないのか。」

3.今もここにおられる花婿主イエス
 教会はその後、食事を共にする群れとなった。聖餐式にはイエス様が見えないけれども共にいてくださり、私たちにパンと杯を振る舞い、十字架の贖いを思い 起こさせてくださる。東久留米泉教会、諸集会、また夫婦、家族の真ん中には、今も主がいてくださる。花婿主イエスはその食卓の見えざる客人、いやむしろ主 人であって、そこに座るすべての者を祝される。
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