1.取税人レビ
主イエス一行は、再びカペナウムに戻る途中、収税所を通った。取税人たちはローマを後ろ盾にして相当乱暴に取り立てて、私服を肥やしていた。彼らは自分
たちを支配する敵国ローマのため、同胞から税を取り立てる売国奴に見られていた。そして遊女や強盗と同列の罪人扱いをされていた。社会的には見捨てられ、
交わりを断たれた存在であった。
その収税所にレビがいた。主イエスと出会うまでの彼は、人々の鋭いまなざしに対抗して虚勢を張りながら高圧的な視線を人々に向けながらも、内心つらい日々を送っていただろう。そんな冷たい視線に耐えていたレビに、ある日まったく別のまなざしが投げかけられた。
2.主イエスの招き
それは、慈愛と交わりを求めるまなざしであった。「私についてきなさい」との招きの声、それは彼の過去も未来も、すべてを引き受ける声であった。その声
にレビは即座に従った。彼はその喜びと感謝と決意を表すため、イエス様と弟子たち、同僚の取税人仲間、そして罪人たちをパーティーに招待した。レビはその
後、マタイ(神の賜物)に名を変えた。
3.罪人を招かれる主
するとそこにパリサイ人がやってきた。彼らにとって、イエス様が取税人や罪人と食事を共にすることは許し難かった。しかし主イエスは、平気で彼らと食べ
たり飲んだりした。それはまさに天国のパーティーの姿であった。天国とは正しい人ではなく、罪人が主イエスとともに食事をするところである。神の国は、自
ら義人と称する者のためではなく、病んでいることを知る者、医者を必要とし、赦しを必要とする者のためにある。主イエスはそのような自覚のある者を招き救
うために来られた。
レビは主イエスを招いた。ところが主は「私が招く」といわれた。招いたレビは招かれる側になる。イエス様を信じ心に招く、人生に招き入れる者は、実は主イエスが私たちを救いに招き、主と主に歩む人生に招き、そして天の御国に招いてくださっているのである。