2017年1月8日
 コリント人への手紙 第一 11章23〜29節
題目 「洗礼と聖餐」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 聖書は、私たちに、守るべき二つの礼典を教えています。洗礼と聖餐です。これらは、イエス様が命じられたもので、教会で、怠ることなく行われているものです。ですから、その意味を理解して、祝福に与(あずか)ることが大事です

1.洗礼(バプテスマ)
 私たちは、イエス様を信じることによって罪赦され、救われました。イエス様を信じた時、聖霊様が私たちの内に住まわれました。その時から、私たちは、イ エス様と一つになり、また、イエス様の体である教会に結びつけられたのです(第一コリント12:13)。それは、古い自分が死んで、新しい命が与えられ、 新しい人として生きる者とされたことを意味します。この事実を表すのが、洗礼(原語のギリシャ語で「バプテスマ」)です。

2.聖餐
 イエス様は、十字架につけられる前に、弟子たちと食事をなさいました。その時の食事は、ふだんの食事と違って、特別なものでした。パンと杯は、それぞ れ、十字架で裂かれたイエス様のからだと、流された血潮を意味しています。このパンと杯をいただくということは、弟子たちにとって、イエス様の十字架の救 いを受け入れることを意味していました。というよりも、十字架が弟子たちに救いを与えることを意味していました。私たちは、聖餐を受けることによって救わ れるのではありません。救われた者が、聖餐に与ることができるのです。聖餐に与る者は、イエス様と一つとなった者であり、また、聖餐は、ともに与る者たち が、一つの家族であることを表わすものです(ヨハネ17:22)。
 聖餐は、イエス様が用意してくださった食事です。十字架で命を捨ててくださったイエス様の愛の表れです。ですから、聖餐に与れる人は、本当に幸いな人で、聖餐は、感謝して、喜んでいただくものです。
 もしも、罪を犯してしまって、心に平安がなければ、聖餐に与れない、と辞退するのではなく、知れる罪を悔い改めて、感謝して与ることが大事です。主は、悔い改める者を赦してくださるからです(第一ヨハネ1:9)。
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