1.神は約束どおりにみこころを実現される
神は「アブラハム」の子孫によって世界を祝福するという約束を与えられ、『ダビデ」の子孫から救い主を出すと約束された。ユダヤ人はそれ以来、救い主を
ダビデの子と呼んで待ち望んだ。しかしダビデ以降の王は、救い主どころか神に背く王ばかり出て、ついにバビロンの捕虜となり、王座は廃止されてしまう。最
後のヨセフに至っては、大工、王家の末裔(まつえい)が肉体労働者。
当時はローマに支配されていた。もはや絶望と思われた、そのときに「キリストと呼ばれるイエス」が生まれた。これは歴史を支配される全能の神が、約束通りに御心を実現されるお方であることがはっきり示されている。
2.キリストの系図は少しもいいところはない
「タマル」(3)は義理の父ユダとの間にパレスとザラを生む。
「ラハブ」(5)は遊女。ヨシュアのエリコ攻略でイスに味方した。
「ルツ」(5)はモアブ人。ロトとその実の娘との間の近親相姦の子がモアブ。
「ウリヤの妻」(6)はバテシェバ。夫の留守中、ダビデ王と姦通した。王はそれを隠すためウリヤを殺害した。ソロモン王はダビデとバテシェバの子。
「ヨラム」(8)の妻は悪名高い北イスラエル王アハブとイゼベルの娘「アタルヤ」(第二歴21:4-6)。アタルヤは自ら王になるために、自分の子孫をすべて殺す(第二歴22)。キリストの系図にアハブとイゼベルの血が入っている。
この系図は恥、汚れ、罪、不信仰、邪悪に満ちている。
3.神は歴史の中で恵み深く誠実であられる
神はアブラハム、ダビデとの約束を忘れず、人の罪がいかに深くても、救いのご計画を誠実に
なされた。キリストは家系が立派だから、先祖がよい人だったから救い主になったのではない。神が約束に忠実だったから、恵み深かったから、歴史を支配し、
私たち罪人を救おうと決心されたから。
この系図は、ある意味で私たちの現実そのもの。自分や家系の罪に絶望し、自分ではどうにも成らない重荷に打ちのめされている、そのような人のためにこそ、この救い主はお生まれになって下さった。
「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(1:21)